日本が誇る伝統と挑戦の革新企業

取材趣旨:企業インタビュー

お菓子のみやきんの歴史は古く、文久元年創業、今年で160年を迎える。看板商品の「駒饅頭」は大正天皇から命名された皇室も御用達のお菓子である。そんな老舗企業を先代社長は時代に合わせ洋菓子の展開や店舗の拡大などを進め、会社は県内屈指の規模へと成長した。しかし新型コロナウイルスの影響で、主軸としていた観光お土産のお菓子が大打撃を受けてしまい新たに事業展開の岐路に迫られた。長年受け継いだブランド、そして時代への対応力を持ち宮沢社長は希望を見失うことなく、一歩一歩着実に歩みを進めている。そんなお菓子のみやきんのこれまでの歴史と今後の展開について伺った。

  • 株式会社お菓子のみやきん

    代表取締役宮沢一史

    この言葉を心の柱に1つ1つ真心をこめ、夢をいだいてお菓子の開発、製造しております。
    「喜びを共に」を経営理念に掲げ、社員と心を一つにお客様に喜ばれる事を喜びとし、業者の方、地域の方、家族や社員の仲間と共に喜んでいけるお店をめざしております。

目次

伝統の承継と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

社風

挑戦を重ねてつくられた160年の歴史

「新しい企画や商品の開発など、チャレンジをし続けている点ですね」社風についてこのように話す宮沢社長。お菓子のみやきんでは、文久元年からの長い歴史があるが、その歴史だけに頼ることなく、新商品の開発や新店舗出店、販路拡大のための商品の売り込みなど、部署を超えて様々な新しい取り組みに挑戦し続けている。
代々宮沢家が継いできたお菓子のみやきん。宮沢社長は高校卒業後、後を継ぐためというよりは親を手伝って楽をさせてあげたいという思いから調理の専門学校へ通い、他のお菓子製造会社での修行を経て、同社へ入社した。
父が拡大した会社を継ぐということへのプレッシャーもありつつ、どのようにこの会社を継続させていくか。コロナ禍という逆境もある中で、対策や新しい取り組みを考えることが楽しいという。これは持ち前のポジティブさとともに宮沢社長や社員が“お菓子作りが好き”という思いにつながる。「お土産は減っても、おやつは増えるかもしれない、店舗は減ってもネットは増えるかも知れない」と、宮沢社長は自社製品がお客様に喜んでいただくための展開をイキイキと語った。

独自性

大正天皇から命名「駒饅頭」

お菓子のみやきんの看板商品は「駒饅頭」である。これは、お菓子のみやきんの創業時からある人気商品だ。実はこの駒饅頭は「大正天皇陛下命名菓子」で、当時皇太子であった大正天皇が命名し、以来100年以上青森で長く親しまれている銘菓中の銘菓で瑞々しく口どけのよい餡にこだわり、つぶあん入の白駒と白餡入黒糖生地の黒駒がある。
この伝統あるブランドとともに、同社のもう1つの強みが、新しい商品の開発力だ。「大企業では、新商品の開発室やそのための専門のメンバーがいることが多いが、私たちは“お菓子が好き”で現場で働いている人が多いため、キャリアが達していなくても新商品の開発ができます。企画会議の中で作り手としての目線、お客様の目線それぞれをぶつけながら、新しい商品が生まれてきます」と宮沢社長は語り、実際同社は、洋菓子においても県内屈指の人気を誇っている。
駒饅頭の安定感と開発力のチャレンジ精神がこれからのお菓子のみやきんをさらに発展させるに違いない。

展望

コロナに負けず、次のステージへ

一口にお菓子といっても大きく4つに分類されるという。1つは日々のおやつ、2つ目は手土産、3つ目はお中元等に贈られる箱菓子、4つ目はお祝いなどで渡す記念品。お菓子のみやきんではこれまでこの4つのうち、2つ目の手土産に注力してきた。しかし、新型コロナウイルスの影響で観光客は激減。当然、手土産の需要も急激に低下してしまった。そのため、現在は1つ目の日々のおやつに注力した。
これまでは直営店での販売を中心に行ってきたが、これからは県外への卸売り、さらには海外への販売も視野に入れているという。
厳しい環境に立たされているが、お菓子のみやきんの社内では、新しいチャレンジに意欲的な雰囲気が流れているという。これからの戦略や、逆境の中での明るい兆しも見え始めてきているため、来年にはコロナ前の水準に戻る見込みがある。160年の歴史の中で、お菓子のみやきんには逆境を乗り越える力がある。今こそそれを発揮し、さらに次のステージへ上がるタイミングなのであろう。

常に新しい挑戦を続け、次のステージへ

文久元年から160年に渡る歴史を教えてください

元々は、炭を販売していました。現在のように店舗をもつのではなく、カゴを背中に背負って町を歩き回っていたそうです。その中でお菓子の販売を求められ、現在のお菓子作りにシフトしていきました。現在、7店舗で運営をしていますが、私の父親である会長が社長になるまでは1店舗のみでした。父の代で一気に7店舗まで拡大し、会社を大きくしました。私が引き継ぐ際に、大きくした会社を守らなければいけないというプレッシャーもありましたが、空き時間などでマネジメントの勉強もしながら、私の代で経営理念もつくりました。社員に自発的に様々なことに取り組んでもらいたいと考えているので、あえて現場にはあまり行かず、日々の日報で社員とのコミュニケーションを図っています。

新型コロナウイルスによる影響はどうですか?

正直に言うと影響は甚大です。これまでお土産に力を入れてきたところで、そのお土産を支える観光がストップしてしまいましたからね。これからは新しい分野への取り組みを始めようと思っています。青森ではりんごが有名ですが、実はカシスの生産も青森県が日本一なんです。我々もそのカシスを自家栽培しているため、りんごやカシスを使ったおやつの開発を考えています。
コロナによる影響は確かに大きいのですが、あまりそのことを悲観的には見ていません。明るい光も見えてきていますし、何より一緒に考えてくれる仲間が前向きな人たちばかりなので、私も前向きに取り組むことができます。

お菓子のみやきんが生まれた青森への思いを教えてください

お菓子のみやきんでは、「青森を喜ばせよう」というビジョンを掲げておりまして、青森県の代表的なメーカーになる、こんな会社があったら喜ばれるなど、青森県の自慢につながる仕事をしたいと思っています。
今後は県外への卸売りも考えている中で、やはり県外の方から見ると「青森と言えばりんご」のイメージがあると思います。そのため、りんごをを使ったお菓子を販売して、青森の名前が上がるようなものを作りたいと思います。しかし、県外への販売はしつつ、製造の拠点や社員の生活の拠点は青森県から変えるつもりはありません。県外の方に、我々のお菓子をきっかけに青森を知ってもらい、最終的には青森県に来てもらえるようにしたいです。

  • 皇室への献上銘菓 駒饅頭

  • 全スタッフで 経営方針を共有する

  • 現在の本店 創業は文久元年まで遡る

お菓子作りが好きという 熱い思いで会社を支える

株式会社お菓子のみやきん 製造部工場長 成田嘉明

今回はお菓子のみやきんで製造部工場長を務める成田嘉明さんにお話を伺った。お菓子のみやきんでは和菓子から洋菓子から幅広い商品を扱っているが、成田工場長は主に和菓子を得意としている。元々ホテルの厨房などで和食の料理人として活躍していて「和」が好きという思いから現在はお菓子のみやきんの和菓子職人として腕を振るう。質問にはゆっくり考えながら話すというおとなしい印象を受けたが、その言葉の端々からお菓子作りが好きだという熱い思いを感じ取ることができた。和菓子職人として、また工場長として2つの顔をもつ成田工場長にお菓子作りに対する情熱とこれからのお菓子のみやきんについて伺った。

伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い

入社理由

和菓子職人として工場長として

青森県出身で、学生時代は野球に打ち込んでいた成田工場長。高校卒業後、調理の専門学校へ進学し、関東のホテルに和食の料理人として入社。2年ほど勤めた後、青森に帰ってきて地元のホテルの厨房で3年ほど働いた。 その後結婚し、家から近くで仕事を探したところ、目に止まったのが地元で有名なお店、それがお菓子のみやきんだった。和食の料理人だったが、元々「和」に興味があり、和菓子にもチャレンジしてみたいと思っていたという。始めは生地やあんこの仕込みから始まり、7~8年で一通りの仕事を覚え、その後工場長になった。 現在は20人くらいのメンバーをまとめながら、現場での作業や工場長としての事務仕事、さらには新商品の開発も行っている。元々は和菓子職人として入社したが、現在では和菓子職人としての一面と、お菓子のみやきんを支える管理者としての両面をもって働いている。

やりがい

自分で一から作ったお菓子でお客様を喜ばせたい

新商品がヒットすることがやりがいだという成田工場長。自分が開発したお菓子がお店に並び、それが大当たりしてお客様に買ってもらえることが何より嬉しいという。成田工場長は、販売の仕事はしていないため、お客様からの声が直接聞けるわけではないが、販売員を通して、また口コミなどで褒められることが仕事の原動力になる。 新商品の開発は、各季節に1つくらいで、成田工場長は新商品の企画から製作まで全てに関わる。企画は、感覚的にアイデアが浮かぶ時もあれば、月1回の企画会議で決まるときもある。開発した新商品がたくさん売れることはもちろん嬉しいが、職人の感覚としては「本当にお菓子が好きな人」に感動してもらえるお菓子を作りたいと語る成田工場長。お菓子作りに対する情熱をひしひしと感じ取ることができる。これまでに開発した中での傑作を尋ねると「7~8年前、揚げ饅頭の中ににお餅が入ったお菓子が一番の力作だった」と懐かしそうに振り返った。そしてこの経験をどんどん他のスタッフにも経験してほしいと結んだ。

常においしいと言われ続けるお菓子作りを

「常においしいと言われるお菓子を提供し続けたい」と語る成田工場長。これは、短い期間でできるものではなく、日々の積み重ねによって、それが実現していく。お菓子作りにおいては、同じ分量でも作る人が違えば味が変わってしまうことがある。また、その人にしか出すことのできない微妙な感覚が大きな感動の差を生むのこともある。「作る人にしてみれば何百個、何千個になるが、お客様にとって見たら1個中の1個。だからこそ、形、味、色、大きさまでこだわってつくっています」と語る成田工場長。文字にすると当たり前に聞こえるが、たくさんの商品が長年愛されるためには、この思いがとても重要で、同社がつくるお菓子の味には、それが表れているのではないだろうか。 これからも、お菓子のみやきんでは設備力や企画力を生かしお客様に「おいしい!」と言っていただける商品を生み出し続けるのだろう。そんなお菓子のみやきんの工場長として牽引し続ける成田工場長の今後にも期待したい。

  • イベントはたくさんの 人でにぎわう

  • 製造現場が見学できる 『スイーツスタジオ』

  • 青森産りんごを使用した 人気洋菓子アップルパイ

社長の右腕として会社を支える

これからのみやきんをつくる人はどんな人ですか?

私が思うのはやる気があってお菓子が好きな人だと感じています。そして大事なのは良い意味でうるさい人。そして仕事を楽しむ人たちですね。
製造部ではほとんどが調理の専門学校出身の方ですが、実は調理経験のない方でも大歓迎です。駒饅頭のような和菓子の定番商品から、オリジナルのケーキなど私たちが作るお菓子は和洋のバリエーションが多く、ほぼ全てのお菓子作りを学ぶことができます。その中で、未経験の方を教えることや、新人の学びは実は経験者には良い刺激になります。
また、製造業務以外でも企画会議などは、それこそお菓子作りが好きが集まる会議で、そのこだわりゆえに会議などでは意見がぶつかることもありますが根は良い人たちばかりです。これは製造に限らず販売や営業も同じですね。時にはこのような衝突があるからこそ、お客様の感動を生むお菓子ができると思っています。

スイーツスタジオの誕生プロセスを教えてください

会長の新しい工場をつくりたいという思いから3年ほど前に発足しました。会長が会社を大きくしたことに伴い、生産量が上がり、3つの工場が稼働していました。現場側からは、3か所に分かれていて不便だという声もあったちょうどその頃、工場の建て替えのタイミングとなり、「斬新なコンセプトを」ということで計画を立て始めました。また、それまで3か所あった工場を1か所に集約したので、現場としてはとてもやりやすくなりました。製造の過程を子供たちに見てもらうために、通路に面して工場をガラス張りにして見学路も設けています。それによって、お客様にお菓子作りに興味をもってもらえるだけでなく、普段は販売員しか接することがないお客様と現場が関わることができるため、製造スタッフにとってもお客様との距離が近くなったと感じられて、より良い製品をつくる原動力につながると思っています。

リーダー間のコミュニケーションはどのように取っていますか?

日常の仕事現場が異なるため、月1回の企画会議でコミュニケーションを取るようにしています。販売・営業・製造・総務経理など、それぞれの立場で情報共有することや、ちょっとした会話でもコミュニケーションを深めることは重要です。会議の場では期間や季節ごとの製造計画について話し合いますが、メインは商品の企画や改善です。各部署長と各店舗の店長(6店舗)みんながネタを持ち寄って毎回話し合いが盛り上がります。販売としてはこれを作ってほしいのに、製造としてはこうしたい!みたいなこともあり、そういうときは「なんでだよ~」となることもありますね。社長は参加したりしなかったりまちまちなので、引っ張る人がいなくても自然と話し合いが始まります。リーダーは会長の代から長年勤めている年上の社員から若手まで幅広い年代がいますが、やはり「うるさい人」が多いので、その辺はいつも対等に議論しています。

担当者からのコメント

  • 監修企業 担当者

    この度は誠にありがとうございました。
    青森が誇る老舗企業の取材ができ、とても学びが多かったです。
    また、厳しい情勢下でも伝統に甘んじることなく、時代に合わせチャレンジする点はまさに革新企業と思いました。青森に行ったときはぜひ駒饅頭をいただいてみようと思います。

掲載企業からのコメント

  • 株式会社お菓子のみやきん からのコメント

    取材を通じて、改めて当社が長年お客様に支えられてきたこと、そしてもっと喜んでいただくために進化していかなければならないことを強く感じました。 お客様と働くスタッフが皆幸せになる、お菓子作りと提供に邁進してまいります。 よろしくお願いいたします。

企業情報

  • 創業年(設立年)

    1861年

  • 事業内容

    和菓子
    洋菓子製造販売

  • 所在地

    青森県上北郡七戸町字笊田76-1

  • 資本金

    1,000万円

  • 従業員数

    89名

  • 会社URL

    https://www.okashinomiyakin.com/

沿革

  • 1861年~2005年

    1861年
    創業者、宮沢金松が「陸奥七戸柏栄堂」として炭屋を開店する。
    又夏場は籠を背負い、だんご・落雁等を行商して歩いた。

    1908年
    当時皇太子であられた大正天皇が七戸町にある種馬牧場に行啓の折、「駒饅頭」を献上する。

    1978年
    有限会社御菓子の宮金として法人設立する。

    1994年
    ジャスコ七戸店へテナントとして開店する。

    1996年
    株式会社御菓子のみやきんと組織を変更する。

    1999年
    直営2号店(十和田切田通り店)を開店する。

    2005年
    直営3号店(三沢店)を開店する。

  • 2005年~2018年

    2005年
    イオンSC十和田店へテナントとして開店する。

    2009年
    直営2号店(切田通り店)の場所を移し(十和田総本店)として再開店する。

    2010年
    直営4号店(青森店)を開店する。

    2014年
    直営5号店(八戸店)を開店する。

    2015年
    直営6号店(おいらせ店)を開店する。

    2017年
    株式会社お菓子のみやきんへ社名を変更。
    イオン七戸店の売り場を拡張しリニューアル。

    2018年
    青森県七戸町に新工場を移転。

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