取材趣旨:企業インタビュー
「炉」というものを目にしたことはあるだろうか。「炉」とは、金属を加工、溶融する目的でつくられる装置であり、なかなか普段見る機会はないが、金属加工メーカーにおいて「炉」は必要不可欠な装置である。株式会社トウネツでは、アルミ鋳造炉や熱処理炉などを製造しており、業界において高いシェアを誇るメーカーである。なぜ、同社は長きにわたってお客様から愛される会社となったのか。それは、同社の基本方針の1つである「止まらない開発力」が強く物語っている。現状に満足せず、日々、熱技術の開発に励んでいるトウネツ。同社の歴史とともに、開発に対する思いとこれからの「株式会社トウネツ」について望月社長に伺った。
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株式会社トウネツ
代表取締役社長望月 城也太
弊社は、1981年に兵庫県尼崎市で創業した、熱に関する各種製造装置とシステムプラントのトップメーカーです。
「様々な国の地域に密着した技術サービス体制の確立を目指す」を企業指針とし、創業以来順調に成長を続けてきました。当社の特徴である、基礎研究や先進的な技術開発、新規材料開発にまで亘る体系化された技術力は、高い評価を頂いております。
現在では当社海外独資会社・海外技術提携会社経由も含めて、様々な国にて弊社製品及びサービスを提供させていただいております。今後、さらにCS(顧客満足度)を充実させる為に、国内・海外でお客様の細かいニーズに対応できる充分な技術サービス体制を確立していきたいと努力しております。
その為に、弊社全体で共有している技術・研究・開発力を最大限に提供できるような、地域に密着したグループ展開を目指して、国内・海外でのネットワークを拡張しております。地球規模での脱炭素社会の実現に向け技術研鑽してまいります。熱技術のことでお困りの方、お近くの各事業所にご一報ください。
同じ目線でよりそい、ご相談させていただきます。
目次
伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
技術力を高め、開発し続ける
「我々は常に新しい技術開発を進めていかなければならない」、それが「止まらない開発力」を基本方針に掲げるトウネツの思いだ。同社では、「省エネ」を軸とした製品開発を行っており、その活動が認められ、大手自動車メーカーから感謝状が届くほどである。望月社長は、常に開発の手を止めない同社の姿を以下のように例えた。「トウネツは、熱技術開発研究所のようなものである」と。創業40年の歴史の中で培われた、基礎研究や先進的な技術開発、新規材料開発にまでわたる体系化された技術力は、すでに高い評価を受けている。それでもなお、常に新しい技術開発に取り組み、常に技術力を向上し続ける同社は、まさに「伝統と挑戦の革新企業」である。社員に対して、「現状に甘えず、"追いかける仕事”をしよう」と語る望月社長の姿からは、同社が未来に持つ大きな可能性が見え隠れしていた。
フルオーダーで唯一無二の製品を
同社の製品はフルオーダーで1つひとつ設計しているため、同じものは1つもない。求めている製品はもちろん、製品開発において求められる技術は、お客様によって異なる。お客様の要望に合わせて製品をつくり、お客様から満足していただくというのは、フルオーダーである上で当たり前のことだろう。しかし、同社の強みは、製品開発の際の数値データを次の開発に生かす、まさに「止まらない開発力」。そのデータ化のための装置も、自社で開発したというから驚きである。また、同社では、地産地消の考え方を大切にしており、メーカーとして海外でも日本の技術を伝えるために、熱技術のノウハウ指導を行っているという。「トウネツの製品は、お客様に合わせたオーダー品であり、常に開発品である」と望月社長が語るように、お客様の要求に応え、進化し続けることが工業窯炉製造業界の未来を創造するトウネツの独自性だと言えるだろう。
もっと過酷なものにチャレンジしたい
「私はもっと熱関係の過酷なものにチャレンジしていきたい」。熱技術に関して、まだまだ多くの改良の余地があり、さらにチャレンジしていきたいというのだ。そのためには、同社が「安定して利益が出る会社」として継続していかなければならない。安定した利益を出し、継続するためにどのような企業を目指すのか。これまでは、グローバル化や規模拡大を目指してきた同社。中国(広州・大連・重慶)、インド、タイの3ヶ国5ヶ所に事業所を構え、海外への進出は大いに成功している。これからのトウネツが目指すのは、望月社長も含めて「開発に集中できる環境」をつくるために、さらに一致団結し、チームとなることが大切であるという。「社長を退任した後でも、じっとしていられないだろうな」と笑う姿からは、研究者肌である「望月社長らしさ」を感じさせられた。
望月社長の会社に対する想い
社長が大切にしている考え方を教えてください
成長している人が好きです。同じ仕事でも前よりも時間を短縮する工夫をしていたり、前よりも成長している姿を見ることができると私も嬉しいです。成長のためには、「成功体験を積む」ことがキーワードだと思っています。小さくても良いので成功体験を積むと、新たに挑戦する意欲が湧いてきますよね。だからこそ、社員のみんなには挑戦し、成功することで達成感を持ち、自身の成長へとつなげてもらいたいと考えています。挑戦した結果を基に新たに挑戦をしている人や様々な工夫を重ねて成長している人を見るのが、私は好きですね。
社長就任時の思いを教えてください
社長に就任したときから、すでに社長としてのゴールをどうするかを考えています。走り続けるところのゴールが決まっているならば、今後どうしていくべきか決まっていきます。実は私、社長は2度目なんですよ。1度目は、グローバル化を自身で進めていきたいとの思いから、現会長に社長に返り咲いてもらい、私はトウネツの副社長と海外法人の社長を兼任して世界中を飛び回っていました。2度目である今では、誰に後任を任せるか、社長の器になるかどうかを見極めなくてはいけません。適正ではない人に任せてしまうと、社員全員が露頭に迷います。そのため、間違った選択をしないためにも、社長になってからずっと「会社を継続していくため、会社の未来のために」目指すべきゴールを考え、そこに向かって走り続けています。
社員に対する思いを教えてください
仕事において、たくさんチャレンジし成長してほしいです。社員とコミュニケーションを取るときに、「前よりも成長しているな」と気づくと、とても嬉しくなります。誰しも「この仕事面白いな」と感じる部分がないと継続できないと思うんですよ。例えば、「この工程もっと時間短縮できないかな」とか「どうしたらうまくできるのだろう」とか、考えて考えて、小さな成功体験をたくさん経験することで、どんどん仕事が楽しくなっていきます。だから、どんなに小さなことでも全然構いませんので、どんどんチャレンジしていき、自分の成長を促進してもらいたいですね。
10名だった企業が95名まで規模が拡大
開発することで得た特許多数
海外拠点で働く社員
未来のトウネツの 核となる人間を育てたい

株式会社トウネツ 東海事業所所長 稲葉誠
全国に7拠点ある株式会社トウネツ。その中で、本部のある東海事業所の所長を務めているのが、今回取材させていただいた稲葉氏だ。入社24年目のベテラン社員であり、入社当時より同じ事業所の先輩後輩の関係であった望月社長とは、旧知の仲である。はじめは落ち着いた口ぶりではあったが、会社の未来に話が向くと、溢れるように熱く語る稲葉氏の姿が印象的であった。「会社の今後のために自分が役に立てることがあるならやっていきたい」と語っていた稲葉氏には、24年間のトウネツへの熱い思いが込められている。叩き上げともいえる稲葉氏の入社経緯から自身と会社の歩みと共に話をお伺いした。
伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い
新たなフィールドで自身の実力を試したい
「自分自身の能力向上のために挑戦したかった」と入社の決め手を語る稲葉氏がトウネツへ入社したのは1996年。学生時代、工学部で勉学に励んでいたという。「窯炉ってほとんどの人が知らない分野だと思うんです。だから、どういう人材が入ってきてもスタートは一緒。自分の実力を試していきたいんですよね」と当時の思いを振り返る。当時、配属先の課長からプログラミングされた大量のリストを渡され、「今日からあなたが担当だよ、全部覚えて」と言われ、必死に覚えたことが印象的であるという。当時の風潮として自由である一方、任される領域も広かったようだ。あまり知られていない領域だからこそ、入社時はみんな未経験であり、スタートは一緒。稲葉氏が求めていた「自分自身への挑戦」ができる環境が同社にはあったのだ。
幅広い部門を経験できる
「昔は1人が複数の仕事をこなしていましたね」と語る稲葉氏。今では、社員数95名まで成長している同社であるが、稲葉氏が入社した当時はわずか10名規模の小さな会社であった。分業などは到底できず、1人が複数の仕事をこなしていくことが要求されていた。会社の成長と共に人数が増え、今は分業が進んでいる。そんな今では、注文から入金まで一通り業務を行い、たくさんの部門を経験することができたからこそ、営業、設計、機械的設計など、どんな業務でも部下に対して適切で具体的なアドバイスをすることができるという。入社して24年が経ち、プレイヤーから社員のマネジメントをする立場となった稲葉氏。これから管理者として新たにチャレンジをし、トウネツの未来を創造するキーマンとなっていく稲葉氏の今後の活躍に同社から期待されている。
未来のトウネツのため、核となる人間を育てたい
「未来のトウネツのために、拠点毎、分野毎にそれぞれ核となる人間を育てていきたいです」と夢を語る稲葉氏。今後、各ポジションの核となる人材を育て、自分が退職するときに、安心して後継できるような若手社員を育てていく必要があるという。会社を継続していくために、会社全体で協力し、将来右腕となる優秀な社員を増やしていくことが必要であるという。優秀な社員を育成していくためには、まず技術の基本的な要素をまとめた技術指針をつくり、技術の見える化をしていく必要があると具体的な施策を熱く語る稲葉氏。未来のトウネツのために、自らが率先して「人材育成」の先陣を切っていく姿には、24年間働き続けている同社への熱い思いが見受けられた。これからのトウネツがどのように進化していくのか楽しみである。
アフターフォローが高評価
打ち合わせをしている社員たち
運動会の際の集合写真
トウネツの未来を考えるキーマンの想い
トウネツの強みを教えてください
製造だけでなく、アフターフォローの面でお客様に非常に評価されているところですかね。窯炉の機械自体6~7年が寿命となっています。特にアルミという分類の設備だと、痛みが激しいもので、寿命に合わせて設備の交換をします。同じ設備をつくっている企業もありますが、メンテナンスを含めた対応ができていない企業が多いです。そのため、弊社ではメンテナンスや工事などアフターフォローの面でお客様からかなり評価されています。そのおかげで、長くお付き合いさせていただいている企業が多く、今ではほとんどの大手自動車メーカーに弊社の設備を入れさせていただいています。
所長として心掛けている部下との接し方を教えてください
自分の仕事は人に命令することが仕事なのではなく、実行させることが仕事であることを意識することですかね。そのように部下との接し方を意識するに至る経緯として、今までで2回所長になった経験からお話しします。私はもともと管理業務が得意ではなく、指示に没頭するあまり、部下の目線に立てず、一度自ら所長の座を退いたことがありました。所長を退いた後「なぜその人が実行できないのか」をちゃんと自分なりに考え、「仕事を実行させることが重要である」と気づきました。2年後に所長をもう一度やってくれという話になり、今に至ります。2度目となる今では、部下が仕事を実行できるように自らフォローするようにしています。
製品開発に関する考え方を教えてください
弊社では、お客様から「10年先を行き過ぎているのではないか」と言われる程、開発に力を入れている会社であり、今では業界トップクラスのメーカーとなっています。望月社長が掲げた基本指針には、「止まらない開発力」という言葉があり、「10年先未来の夢を描き、開発商品を必ず毎年出し続けます。」とあります。開発を始めたきっかけとして、お客様からの要求から、「製品の付加価値をどうつけるか」を考えたことから始まりました。開発力を武器とした今では、望月社長が考えた数多くの製品開発案があり、既存設備に新技術を導入して新しいシステムをつくっています。お客様のニーズに応えるため、新しい技術を日夜工夫し開発していくことで、会社全体の技術力向上につなげ、お客様からの信頼を獲得していると思います。
担当者からのコメント
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監修企業 担当者
ご取材させて頂きありがとうございました。
お客様からの信頼があり、長く愛されているトウネツ。
そこには、開発に情熱を捧げる社員たちの姿がありました。
今後トップダウンの経営からチーム経営へと移行し、
さらにチャレンジをしていく同社の未来に注目です。
掲載企業からのコメント
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株式会社トウネツ からのコメント
取材ありがとうございました。 改めて自社を見直す、きっかけになりました。 自社の歴史、これからの方向性を全社でもっと共有していきます。
企業情報
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創業年(設立年)
1981年
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事業内容
1. アルミ鋳造炉 2. アルミ給湯・搬送設備 3. 熱処理炉 4. 真空炉 5. 制御盤・制御装置 6. 熱実験装置 7. 省力自動化装置 8. 環境試験装置 9. 熱設備メンテナンス業務 10. ファインセラミックス部品・熱処理治具販売 11. バイオ・太陽光事業 12. 農業事業
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所在地
静岡県富士宮市外神東町16
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資本金
2,000万円
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従業員数
95名
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沿革
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1981年~2000年
1981年2月
尼崎市平左衛門町武庫川工業団地内に望月俊二が創業。
1986年6月
尼崎市鶴町7-14にて本社工場竣工。
1987年4月
韓国に株式会社光珍熱炉(合弁会社)を設立(2002年2月閉鎖)。
1990年9月
国内販売のボードバス型アルアンダーの売買について、橋本産商と代理店契約を結ぶ。
1992年1月
関東営業所を静岡県富士宮市若の宮町に設置。
1995年6月
関東営業所を東海事業所と名称変更、静岡県富士宮市北山7427-805に移転。
同所に工場新設。
1997年1月
北関東営業所を栃木県河内群河内町大字下岡本に設置。
1997年10月
中部営業所を愛知県安城市大東町に設置。
1998年8月
中部営業所を愛知県安城市箕輪町に移転。
2000年5月
炉側壁貫通型加熱装置について、三建産業株式会社と販売契約を結ぶ。 -
2001年~2009年
2001年1月
本部を東海事業所へ移転。旧本部は関西事業所として業務継続。
2002年2月
東海事業所に新工場棟が完成。
2002年3月
富士宮市宮原にセシル東海(独身寮)が完成。
2002年6月
北関東営業所を栃木県宇都宮市上籠谷町1793-3に移転。
2003年2月
溶解材料加熱プールの製作・販売、炉側壁貫通型加熱装置について、株式会社TOKAIと販売契約を結ぶ。
2003年3月
南関東事務所を埼玉県行田市谷郷3丁目6-52に設置(2005年4月閉鎖)。
2003年10月
中部営業所を愛知県豊田市上郷町3-9-9に移転。
2003年12月
海外における独資会社の設立を開始、グローバル展開に乗り出す。
2004年1月
浸漬式アルミ鋳造炉について、Korea International Machinery & Service と製造販売契約を結ぶ。
2004年2月
中国に独資法人日本株式会社東熱上海事務所を設置。
2004年4月
東海事業所に第二工場棟完成。
2004年11月
中国に広州東熱工業炉有限公司を設立。
2005年10月
関西事業所を拡張し機能を尼崎市鶴町7-16に移す。
2005年11月
中国に上海東熱工業炉有限公司を設立(2009年12月閉鎖)。
2005年12月
上海事務所を大連に移転し大連東熱科技有限公司として設立。
2006年9月
農園部設立。
2006年10月
アメリカ・ケンタッキー州にTounetsu USAを設立。
2006年12月
九州営業所を福岡県京都郡苅田町与原1634-12ラビアンローズⅡ101号に移転。
2007年1月
九州営業所を福岡県京都郡苅田町大字苅田字松浦3787-75に移転。
2007年10月
真空炉事業に本格参入。
2009年1月
本部、東海事業所を静岡県富士宮市外神東町16に移転。旧社屋は北山工場として業務継続。
2009年4月
太陽光事業部設立。
2009年4月
溶湯保持炉等について、PT.WILISINDOMAS INDAHMAKMUR と販売に関する合意を結ぶ。
2009年5月
インドにTOUNETSU INDIA PRIVATE. Ltdを設立。
2009年9月
中国に大連東熱科技有限公司天津事務所を設置。
2009年11月
九州営業所を福岡県朝倉市甘木2111-1に移転。 -
2010年~2018年
2010年6月
代表取締役社長に望月城也太が就任。望月俊二は取締役会長となる。
2011年7月
タイにTOUNETSU Thai Co., Ltdを設立。
2011年9月
広州東熱工業炉有限公司、大連東熱科技有限公司と技術提携を結ぶ。
2011年10月
TOUNETSU Thai Co., Ltdと技術提携を結ぶ。
2011年10月
PYROTEK INC.、株式会社パイロッテック・ジャパンと技術提携を結ぶ。
2012年2月
北関東営業所を宇都宮営業所と名称変更。栃木県宇都宮市下岡本町4235ベルカント102号室に移転。
2012年9月
大連東熱科技有限公司 天津事務所を天津市開発区順達街8号泰達時代小区4号楼4門501室に移転。
2012年12月
代表取締役社長に望月俊二が就任。望月城也太は取締役副社長となる。
2015年6月
埼玉営業所を埼玉県北足立郡伊奈町小室9473-1 101号に設置。
2018年7月
九州営業所を福岡県久留米市山川安居野3-12-7に移転。
2018年10月
鈴鹿営業所を三重県鈴鹿市岡田3丁目9-3エクセル東山北館101号室に設置。
取材趣旨:企業インタビュー