取材趣旨:企業インタビュー
栃木県足利市に本社を構え、6つの工場を備える菊地歯車株式会社。同社は国内歯車メーカーでトップクラスの技術力を誇り、国内をはじめ、海外にも取引先を持つ日本が誇る歯車製造のプロフェッショナルだ。1940年の創業当初は機織り業をメインに行っていたが、第二次世界大戦中をきっかけに歯車部品の製造に注力してきた。以来80年間、常に最先端の技術、最新鋭の設備を取り入れ発展し続けてきた同社は、現在では国内最高級車であるレクサスLSシリーズの部品提供を行うなど、技術力において高い評価を受けている。
今回の取材では自動車や油圧建機から航空・宇宙産業、ロボット産業まで、幅広い分野の歯車製造を行う同社の歴史と未来を伺っていく。
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菊地歯車株式会社
代表取締役社長菊地義典
当社は、進化を続ける自動車産業、油圧建機産業をはじめ航空・宇宙産業、ロボット産業まで、お客様のニーズにお応えした幅広い分野の歯車を製造しております。「我が社に集まる人は、皆幸福に成らねばならない。」の経営理念の通り、弊社の社員は、日々、高度化する技術にも楽しみながらチャレンジしております。そのお陰で、当社の技術力は国内メーカーのトップクラスを誇っております。
歯車の製作はお客様との綿密なコミュニケーションが必要不可欠です。そのため現在は社員一丸となって日本国内のお客様の期待に応えられるよう、常に最先端の技術を取り入れながら歯車の開発・製造に取り組んでおります。最近では海外からのお客様も増えており、これも当社の技術力を評価していただいている結果だと感謝しております。1940年に機織工場の片隅に歯切機械を設置し歯車メーカーとしてスタートした当社は、その後、オートバイから建設機械、事務機器、自動車と日本の高度成長期に合わせ、その時代をけん引する産業にも対応していくだけでなく、あらゆる業界のニーズに応えてきたことで成長してまいりました。今後は、進化の著しい自動車産業、航空・宇宙産業、ロボット産業にもますます力を入れていくだけでなく、社員一人ひとりが常にアンテナを高く張りめぐらせ、「困ったときの菊地歯車」と頼っていただけるような高度な技術力を持ち続ける企業でありたいと思っております。2040年に当社は100周年を迎えます。この業界で生き残り「百年企業」になれるよう最新設備を整え、人材の教育に力を入れながら、社員一丸となって歯車の開発・製造に邁進していきたいと思っております。
目次
伝統の継承と未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
80年燃え続ける菊地の“チャレンジ精神”
「難しい仕事を断らずにチャレンジすることが大事」と語る菊地社長。その言葉通り、同社には創業から培ってきた“チャレンジ精神”が存在する。では、どのようにして“チャレンジ精神”は育まれてきたのか。創業時から歯車製造を行い、様々なお客様のニーズに応え発展を続けてきた同社。日本の高度経済成長期では、オートバイから建設機械、事務機器、自動車など、時代をけん引する様々な産業のお客様の要望へ、技術と設備力を駆使して高品質で対応してきた。現在、航空・宇宙産業、ロボット業界などに力を入れて取り組んでいる。時には、複数の協力業者の連携しながらプロジェクトのように進めることもあるという、こういった背景から、同社の“発展と調和”という理念が生まれた。
この理念を体現してきた同社は、より変化の激しくなった現代社会に対しても、常に“チャレンジ精神”をもって自社で出来ないことに対しても、「私たちのパートナーとなる協力企業さまと連携して最高の形で実現させていきたい」と明るく語った。
世界水準!6つの工場を使いこなす”栃木の菊地”
菊地社長は「どんな難しい仕事も実現することができる」と歯車製造に絶対の自信を持っている。他を圧倒する設備力と高い水準の技術力が同社の成長を支えてきた。
「積極的に設備を導入することで、他社と差別化になる」と語る菊地社長は、海外の最新鋭の設備を積極的に導入することで、世の中のニーズに応える。そんな同社には国内初導入の設備が多くあり、同社にしかできない歯車部品を製造することができる。また、このような設備を扱うのは高い技術水準の優秀な技術者たちだ。同社には国家技能士1級を取得するための環境が整っており、若い社員は資格取得を目標にさまざまな仕事を学ぶ。それは独自の社内文化となり、入社から10年以内に国家技能士を取得する社員が多く存在している。設備力と技術力を兼ね備えた同社は約5000種の歯車部品を扱い、さまざまな業界に歯車部品を供給している。
進化する“100年企業”
「創業100年へ向け、強い会社をつくること」と今後の展望を語る菊地社長。80年以上の歴史を持つ同社は事業面と組織面を強化し、地元足利に根を張り、バランスを取りながら成長を続けていく。事業面では「チャンスがあれば今後伸びる業界へのチャレンジしていく」と菊地社長は意気込む。2015年には子会社であるエアロエッジを設立し、航空宇宙事業へ積極的に参入するなどチャンスがあれば常にチャレンジを続けてきた。昨今はAIやIoTの情報社会の発達やコロナウイルスの影響などが重なり変化が激しい時代であるため、時代の変化を見極めながらチャンスをうかがう。組織面では社員教育の一環として、毎月班ごとに会議を行い、技術者にとって必要なスキルを学ぶ機会を設けることや、新しい分野にチャレンジする機会を与え、社員1人ひとりが働き甲斐を感じる会社をつくり上げる。事業面と組織面を充実させ、足利を代表する企業として、世界に羽ばたく。
菊地歯車への思い
菊地歯車の歴史を教えてください
菊地歯車株式会社は1940年に祖父が創業しました。いわゆる小さな町工場で、機織り業をメインに行い、歯車の製造は片隅で行っていました。しかし、戦時中であることから機織り業を畳み、残された歯車製造を1本で行うことになりました。
私が入社したのは、1993年になります。技術と品質にこだわったので、ミクロン単位の精密な生産を目指したことで、大手重機メーカーや航空・宇宙の基幹部分を任せていただくなど、仕事のクオリティとともに規模も拡大してきました。入社当時の菊地歯車は第二工場までしかなく、社員も60名ほどでした。しかし、現在は第六工場まであり、約160名の社員が在籍し、4000種類の歯車部品を製造しています。拠点については、他のエリアの展開というよりは、より地元足利で地域とともに成長できれば、と考えています。
社員教育で工夫されている事を教えてください
経営理念に「わが社に集まる人は皆幸福にならなければいけない」というものを掲げているため、社員一人ひとりが働き甲斐の持てる会社を目指しています。働きやすい工場にするために冷暖房を完備させることや、5S活動に力を入れ、仕事に打ち込みやすい環境を整えています。社員教育では先述した国家認定技能士の資格を取るプロセスを通じて、一人ひとりの成長を促しています。加えて、技能者としてのスキルだけでなく、ビジネスパーソンとしての素養を鍛えるために、各班それぞれに財務諸表を作成するようにしています。経営理念をもとに関わる全てが幸福になれるように取り組んでいます。
いつ頃から社長になることを考えていたか教えてください
小さい頃から父親である会長の姿を見ていたので、常に自分が社長になることを意識していました。その後も入社してからも総務、品質保証などさまざまな経験を積んできました。30歳の頃には経営計画書を作成していたので、実務的な事業承継はスムーズにできたと思います。しかし就任後にリーマンショックの影響を受け、大きな打撃を受けました。仕事は半分になり大変な状況で悩むこともありましたが、会長から「3年で戻るから先を見据えろ」という言葉を受けて、状況の捉え方が変わりました。リーマンショック時に歯車メーカーとしては国内初となるJISQ9100の品質保証システムの資格を取得するなど常にチャレンジを続けてきました。これからは次世代に会社をつなげていくため努力を続けていきます。
見学依頼もある、という全社員朝礼
本社と第1工場、現在は6か所の工場が稼働
地元の高校生に工場見学を実施
菊地歯車を進化させる キーパーソン

菊地歯車株式会社 経営管理部 人事広報係 主任 田部井俊弥
本日お話を伺ったのは地元足利出身の入社9年目の田部井俊弥さん。持ち前のさわやかな笑顔でさまざまな質問に答えていただいた。地元足利出身の田部井さんは高校時代にテレビ番組をきっかけに同社を知った。大学卒業後には東京の広告代理店に勤めていたが、自身の強い想いにより、地元足利を代表する同社に転職。そこから製造部、生産管理部を経験し会社に必要不可欠な存在へと成長。今年からは経営管理部に配属となり、会社全体の管理を行う傍ら、採用の責任者として会社を支える。今回の取材では同社で自分自身の可能性にチャレンジし続ける田部井さんの入社理由から今後描く夢を伺った。
伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い
地元を代表する企業で自分の力を活かす
「自分の力を最大限に生かせる環境だった」と入社理由を語る田部井さん。趣味のバドミントンチームで知り合いだった常務から「フランスの会社と取引を始めたから入社しないか」とオファーを受けた。国内最高峰の歯車メーカーであり、海外にも多くの取引先を持つ同社で自身の武器である”語学力”を活かしたいと決意し、入社を決めた。「毎日に刺激が欲しかった」と学生時代を振り返る田部井さんは高校時代から留学をきっかけ外国語に取り組むようになった。大学時代にはフランス語を専攻し、理解を深めていった。大学卒業後は東京の広告代理店に就職したが、「自分の武器をビジネスの世界で活かしたい」と思い転職を考えるようになった。その中で、趣味であるバドミントンを通じ、常務から転職の話を受けた田部井さん。同社の世界を視野に入れた取り組みを目の当たりにし、自分が持っている語学力という武器を最大限に生かせると感じた田部井さんは同社への転職を決意した。
会社を支えるバランサーとしての役割
生産管理部の主任を行っていた際に「業務を円滑に回し会社全体を良くしていくこと」に大きなやりがいを感じた田部井さん。生産管理部を「会社の血液」と表現し、80年以上の歴史を持つ同社を更に成長させていくたために重要な仕事だと考えている。会社全体を見渡し、滞りなく仕事を進めるために常に社員や取引先とのコミュニケーションを大事にする田部井さん。その働きぶりは社内はもちろん、社外から高い評価を受けている。社内では営業と現場の社員の間に入り業務の円滑化を図っている。自身をフィルター役と例えるように、社員同士の距離を埋める役割を担う。取引先からは「田部井さんのおかげ上手くいきました」などの生の声をいただくことがあり、絶大な信頼を得ている田部井さん。今年から経営管理課に異動となり、新たなステージへの挑戦が始まった。
菊地歯車を進化させていく
”目立ちたがりな縁の下の力持ち”をキャッチコピーに持つ田部井さん。 菊地歯車をより良い会社にしていきたいと強い想いがある。今後バックオフィスを強化し、強い菊地歯車をつくると意気込む。 そのために今後2つのことに注力していくことを考えている。 1つは現在所属している人事課を人事部まで大きくしていくことだ。人事部を実現させ、採用・教育および評価の仕組み等人事領域を総合的に管理することで、社員一人ひとりがより働きやすい環境を整えていく。 2つ目は企画力を伸ばし、新しい製品の製造へチャレンジすることだ。「オリジナル製品をつくりたい」と語る田部井さん。積極的に社外の勉強会などに参加し、学びを深めている中で、外部の企業と協力することで新たな製品にチャレンジできると新たな可能性を感じている。そのために企画力を磨いていきたいと意気込む田部井さん。菊地歯車を影で支える田部井さんの存在は、同社が100周年を向ける上で重要になるだろう。
国家技能士の資格を持つ社員が多く在籍する
ミクロン単位での精度を誇る菊地歯車の製品
創業当初の菊地歯車の社屋
田部井さんが語る菊地歯車の人々
今後どんな仲間と働きたいか教えてください
現状をより良くしていこうという気概を持った人と一緒に働きたいです。先輩や上司に対しても「自分はこうしたい!」とはっきり言葉にできる人や自分の思いを明確に持っている人が会社を成長させていくと考えています。そのためには先輩や上司に若手の意見を発信しやすい社内環境を作っていく必要があります。今後人事課を成長させていき、若手から発信していけるような風土を築いていきたいと考えています。また、社員一人ひとりがイキイキと働ける会社にしていくために評価制度の見直しもかけています。ベテランや若手が一緒になって、現状をより良くしていこうという思いを持って仕事に取り組んでほしいです。
菊地歯車にはどんな社員が多く集まっているか教えてください
発展と調和という経営理念のもと、仲間意識の強い社員が多く集まっています。
菊地歯車は創業から現在までさまざまなチャレンジを通じて、発展を遂げてきました。国内初の設備を導入するなど設備投資にも積極的に行いながら、社員教育にも注力しています。海外から設備を導入した際には現地の方が当社にきて研修を開くなど、いち早く設備を使いこなすために工夫をしています。また、国家技能士資格の取得も推奨していて、技術者として成長できる環境があります。私の同期達も資格を取得し、それぞれの立場で活躍しています。菊地歯車の成長環境で社員一人ひとりが確実に成長をしています。
田部井さんから見る菊地社長について教えてください
視野が広く、会社はもちろん世の中の変化にも敏感に対応できる柔軟性を持った方です。
菊地歯車が足利代表する歯車のトップメーカーになれていることは菊地社長のおかげです。今の菊地会長が町工場を企業に進化させ、そのバトンを受け継いだ菊地社長が足利を代表する企業へと進化させました。現場にもよく足を運び社員と楽しく話す姿ことも多く、社員一人ひとりを理解してくれる方です。年末の社員旅行では菊地社長と1年目の社員は必ず同じ部屋に泊まるルールが存在しています。普段会話のすくない若手社員と関係値を構築するために社員目線で物事を考えてくれます。
担当者からのコメント
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監修企業 担当者
取材させていただきありがとうございました。
歯車部品製造のプロフェッショナルとして、地元足利に確かな地盤を築く菊地歯車。
いかなる状況でも足を止めず、挑戦を続けることで文化をつくり上げる同社の強みを感じました。最新鋭の設備と高いスキルを持つ技術者が実現する同社の強みを肌で感じ、今後の菊地歯車の挑戦にワクワクしました。
掲載企業からのコメント
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菊地歯車株式会社 からのコメント
取材を通じて、80年の歴史を振り返ることができました。 改めて、お客様や協力会社様、そして社員に支えられ、今日があることに感謝します。そして将来に向け、さまざまな産業分野で当社の歯車技術が、より高いレベルで貢献できるよう、日々努力を続けていきます。
企業情報
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創業年(設立年)
1940年
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事業内容
自動車・建設機器・油圧機器・航空宇宙・工作機械・事務機械・その他一般産業機械向け中型小型精密歯車制作 歯車減速機・ギヤーポンプ・ギヤボックス等の組立て
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所在地
栃木県足利市福富新町726番地-30
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資本金
3,000万円
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従業員数
153名
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沿革
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昭和15年~昭和63年
昭和15年
栃木県足利市本城3丁目にて創立者、菊地元治によって歯車の生産を開始
昭和18年
菊地元治大東亜戦争にて戦死、妻 菊地喜美、社長に就任、事業を継続
昭和34年
菊地喜美社長を辞任。菊地義治社長に就任
昭和43年
足利鉄工団地協同組合設立に参加
昭和44年
法人に組織変更、菊地歯車株式会社に改組、代表取締役に菊地義治が就任(資本金500万円とする)
昭和45年
資本金1,000万円に増資
昭和46年
資本金1,500万円に増資
昭和53年
設備近代化のため、第1次工場増築し、機械設備を増設
昭和56年
駐車場敷地として2,800m2用地確保
昭和57年
生産増強及び設備更新のため、第2次工場増築、敷地内整備(中小企業庁より、中小企業合理化モデル工場として認定を受く)
昭和62年
第2工場新設、敷地2,323m2、建物660m2
昭和63年
事務棟、及び空調工場新設 -
平成2年~平成19年
平成2年
工場用地として10,000m2用地確保
平成5年
第3工場新設、敷地1,676m2、建物753m2
平成9年
資本金3,000万円に増資。第4工場新設、敷地1,983m2、建物1,862m2
平成12年
ISO9002:1994 全工場一括認証取得
平成13年
社債1億円発行
平成14年
弊社・社長菊地義治 日本機械学会関東支部技術賞を受賞
当社より4名『とちぎマイスター』として栃木県知事の認定を受ける
ISO9001:2000移行審査完了
第5工場新設、敷地2,640m2、建物1,584m2
平成15年
栃木県フロンティア企業として認証される
平成16年
当社より1名『とちぎマイスター』として栃木県知事の認定を受ける
ISO14001 認証取得
平成17年
本社工場を増築、増築面積 敷地1,157m2、建物534m2
優良申告法人として足利税務署より再び表敬状を受ける
代表取締役社長に菊地義典が就任。代表取締役会長に菊地義治が就任
ISO14001:2004 移行審査完了
平成18年
栃木県より「経営革新計画」の承認を受ける
ライスハウワー社製歯車研削盤RZ400新規導入
平成19年
レクサス最上位モデルLS600h用ギヤ、量産開始
経済産業省より『元気なモノ作り中小企業300社』に選定される
高齢者雇用開発コンテスト『厚生労働大臣表彰優秀賞』受賞
弊社・会長 菊地義治 足利商工会議所会頭に就任 -
平成20年~平成30年
平成20年
『栃木県イメージアップ貢献賞』受賞
栃木県フロンティア企業として再認証される
平成21年
JISQ9100認証取得
平成22年
英国ファンボローエアショーに『日本航空宇宙産業フォーラム(JAIF)』メンバーとして出展
クリンゲルンベルグ社製歯車試験機P40型新規導入
平成23年
『とちぎ産業活力大賞 最優秀賞』受賞
仏国パリエアショーに『日本航空宇宙産業フォーラム(JAIF)』メンバーとして出展
平成24年
シンガポールエアショーに出展
トヨタ86/富士重工BRZ用ギヤ、量産開始
平成25年
仏国パリエアショーに出展
第6工場新設、敷地4,571m2、建物3,012m2
平成26年
シンガポールエアショーに出展
経済産業省より「頑張る中小企業・小規模事業者300社」に選定される
平成27年
仏国パリエアショーに出展
平成28年
会社分割により、100%子会社・AeroEdge株式会社を設立
『第1回あしぎんビジネスプラン・グランプリ』グランプリ賞受賞
平成29年
経済産業省より『地域未来牽引企業』に選定される
平成30年
中部産業連盟『VM推進賞』受賞
取材趣旨:企業インタビュー