日本が誇る伝統と挑戦の革新企業

取材趣旨:企業インタビュー

かつて日本の高度経済成長を支える大きな要因となり、近年においても先進諸国に対する優位性を保たせている日本のものづくり。しかし昨今、機械の発達や途上国の技術力の向上により競争が激しくなり、技術力のみならずコストや納期についても厳しい要求を迫られている。そんな中で、時流に合わせ、ものづくりの技術はもちろん、コストや納期についても進化を続け、常に企業としての成長を続けているのが今回取材させていただいた志村精機製作所だ。そして同社はものづくりのみではなく自社製品の開発など、他の領域での展望も描く。本取材では同社のこれまでのものづくりの歴史や、今後の展望について深くお伺いさせていただいた。

  • 株式会社志村精機製作所

    代表取締役志村政彦

    わが社は創業以来さまざまなお客さまのニーズにこたえられるよう「切削」という部分にこだわり日々「よりよいものづくり」を心がけてまいりました。

    平成も終わろうかという2019年にわが社も創業55年を迎え、更に「価値あるものづくりを」するために技術力・生産力・人間力を高められるよう社員一同努力を惜しまず成長をしている最中でございます。

    初代社長が存命されていた時代の「汎用機械1台」から現在私で4代目となり保有する機械も40台を越えました。

    大きなものから微細な加工まで樹脂・金属問わず対応できるように設備も整え、さまざまなお客様の「困った!」を解決したい…、その思いは歴代の社長より脈々と受け継がれてきた「志村精機のDNA」でもあります。

    私自信も昨年この大田区で「大田の工匠」という名誉をいただき、現状に満足せず更なる「ものづくりとは」を追求していく所存です。

    私たちの身の回りにある当たり前の「モノ」それを我々志村精機の「ものづくりが大好き!」の気持ちが創っていく…。

    「町工場」だからこそ出来ることがあると私たちは考え、これからも日々精進してまいります。

目次

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

社風

家族のような志村精機製作所一同

「うちの会社は創業当時から家族的にやっています。家族的な雰囲気をずっと残していますよ」そう語る志村社長。創業当時は家内工業だった同社。現志村社長は高校は夜学に通いながら、中学卒業と同時に働き始めたという。その当時は会社の規模が今よりも小さく、親族一同で同社を切り盛りしていたそうだ。その当時の家族的な会社の空気を、今なお志村社長は大事にし続けている。例えば、同社は年に2回、社員を集め、「生ビール大会」というイベントを催している。「社員には『ぜひ社員の家族も連れて来てください』と言っています。家族ぐるみでの付き合いをすると社員との距離もより近くなると思いますので」そう優しそうに語る志村社長から、いかに社員との関わりを大切にしているかが伺える。「本来ならもっと線引きをするべきなのかもしれないですし、私が社長を退いた時には変わってもいいかもしれません。ただ、良いところは残して欲しいですね」今後も同社は家族的な雰囲気を残し、発展を続けるに違いない。

独自性

不得手な仕事に積極的に挑戦し続け、積み上げられた技術力

「うちの強みは技術力です」そう力強く言い切る志村社長。製造業は、得意な加工技術を応用できる製品づくりを行う企業が大半であるなか、同社はあえて不得手な加工技術の仕事を積極的に受けるという。「単純に、何かがつくれない時に悔しいんですよ。同じ機械を使っているのにあっちはできてこっちはできないとなると、じゃあつくれるようになるにはどうしたらいいんだという発想になるんです」そう語る志村社長。そのなかでも志村社長が1番大きな挑戦だったというのが樹脂加工への挑戦だ。元来、金属加工のみを取り扱っていた同社だが、30数年前に某大手メーカーから樹脂加工の打診があり挑戦したのだという。「金属も樹脂も加工するなんて当時は異例ですよ。本当にできるかどうかなんて正直全く分かりませんでした。ただ、その挑戦が現在の事業の基盤をつくっていることは間違いないですね。挑戦して良かったと思っています」そう語る志村社長。こういった、あえて不得手な仕事に挑戦し続ける姿勢こそが同社の技術力を支える独自性なのだ。

展望

自らものづくりが行える企業へ

「会社を安定させるというのがやはり1番の目標ですね。そのために現在は自分達でものがつくれるようになろうとしてます」そう語る志村社長。そう考えるようになったきっかけはリーマンショック。仕事量が激減し、ものをつくる依頼が来ず、工場が止まることもあったという。その際、どこかからの依頼を受け続けるだけではこの先、会社を存続させることは難しいと志村社長は考えた。そこで、これまでのものづくりで技術力の向上を続け、顧客からの信頼を積み重ねることはもちろん、自分達で企画設計までできるように新製品の開発を行うようになったという。「今ですと間伐材を使って箸をつくっています。自社製品の開発っていうのはまだまだこれからですね。今は新製品の開発に5人で取り組んでいて、いろいろな案件を出しあってますよ」そう自社の未来を描くように目を輝かせる志村社長。同社は今後、積み上げてきた技術と信頼の土台のうえに、新製品の開発というアイディアを乗せ、更なる飛躍をしようとしている。

志村精機製作所の転換期に向けた施策と想い

若手社員へのメッセージをお願いします

ものづくりの喜びを特に若い人達に分かってもらいたいと考えています。不得手な仕事が来ると、最初は「できないんじゃないかな」と思うんですけど、できた時にはものづくりの喜びが分かるんですよ。この、ものづくりの喜びはなんとも言葉では表現しきれないところがあるので、経験を通じて体感してもらおうと考えています。「できないんじゃないかな」と思うことに工夫を加え、それができるようになると会社がどうなって、自分達にどう返ってくるのかが分かるようにしています。実際にものづくりの喜びを体感して、うちの社員がそれを理解すれば、自発的に技術力の向上に努めるようになるでしょうし、そうなれば、よりスピード感をもって技術力を積み上げていける組織になると確信しています。

御社の今後の成長を考えたときに、今取り組むべきことは何だとお考えですか

加工そのものを根底から考えていかないといけないといけないと考えています。今は時代が変わってきて、製品の精度だったり、加工技術ももちろん大事なんですけど、それに加えて製品をつくる速度や、コスト削減などが求められます。他社の製品の価格を見て愕然とすることもあるんですよ。じゃあそれより安い価格でものをつくるにはどうしたらいいのかと考えると、既存の加工工程だと不可能なのかもしれない。だから加工そのものを根底から考えて、まったく新しい方法で加工できるようになっていかないといけないと考えています。そうした体制を実現するための一環として先ほど言ったようなものづくりの喜びを分かってもらえるようなはたらきかけをしてます。

現在注力していることを教えてください

先ほどの自社製品の開発もそうなのですが、新規のお客様の開拓にも力を入れていますね。やはり下請けとして1社に依存をしてしまうと会社が安定するのは難しいので、依存度を下げて、今よりも多くのお客様とお付き合いができるようにしています。うちの会社はこれまでの大きなメーカーさんとの取引と実績がありますから、他の会社さんからも仕事をいただけると確信しています。現在は微細加工の分野でお客様の新規開拓を行っていますね。あとはそれに関連して社内体制も整備しています。いただいた仕事を自社で回せるように多能工化や売上目標の発信などをしていますね。今後更なる飛躍をするために、来年が転換期になると思いますよ。

  • 積み上げた技術力が光る樹脂加工

  • 同社の未来を創る全体会議

  • 家族のような志村精機製作所一同

仕事は気持ち できないことはない

株式会社志村精機製作所 営業部 環境推進課 浅野雄三

2011年に入社され、現在では主に営業にてご活躍されている浅野さん。浅野さんはご両親が同社の取締役ということもあり、幼い頃から同社に馴染みがあった。しかし、大学を出てからは同社に就職せず10年間アメリカで生活。日本に戻り、何をしようかと考えていたところ縁あって幼い頃は気づけなかった同社の魅力に触れ、入社。そこからも同社の魅力を感じ続け、浅野さんの志村精機製作所への想いは増すばかり。その想いを還元するかのように浅野さんならではの観点と取り組みで今日までご活躍を続けている。本取材では浅野さんの仕事や同社に対する想い、ご自身のこれまでの経緯について紐解いた。

伝統の承継と挑戦の未来を担う社員の思い

入社理由

時を経て気づいた志村精機製作所の魅力

大学を卒業し、10年間アメリカにいたという浅野さん。アメリカで車の輸出に携わり、浅野さんご自身はそのままアメリカで過ごすつもりだったそうだ。しかし震災を機に2011年の5月に帰国した。そのタイミングで、ご両親が同社の取締役ということもあり、「会社の次世代を担ってみないか」と打診をされたことをきっかけとして同社が何をしているのかを知ることになる。「アメリカで車のホイールを作る会社も見てきたんですけど、それと同じようなことを、小さい頃から見てきた志村精機がやっていたのが分かって興味が湧いたんです。実際に見たらすごいことをやっているなと思いましたよ。なんで気づかなかったんだろうってくらい。灯台下暗しですね」そう当時を懐かしむように語る浅野さん。その時の感動がとても大きく、すぐに入社を決意したそうだ。「このすごい会社をもっともっとすごい会社にしていきたいと思いました」その当時の感動と熱意を胸に、浅野さんは現在も活躍を続けている。

やりがい

全ての仕事に気持ちをもって取り組む

「今、全てにやりがいを感じています。僕は仕事って気持ちの持ちようで捉え方が全然違うものになると思うんです。どんな仕事でも気持ちを持って取り組めば、やりがいは自然と感じられると思うんですよ。少なくとも僕はそうなので社員も皆がそう捉えられるようにはたらきかけています」そう目を輝かせて語る浅野さん。入社した当初は帰国して間もなく、製造業に携わっていたわけでもないので、日本のことも仕事のこともまったく分からない状態だったという。その中で出来ることを一生懸命やると心に決め、まずは掃除を徹底的にしたそうだ。「自分のような新参者に会社を変えることを期待されていたように思います。もちろん期待には応えたいので、周囲を変えるにはまず自分が行動で示さないといけないという気持ちで、とにかくできることをしましたね」そう語る浅野さんの言葉は実績に裏付けられ力強い。今や専門的な領域の知識も増え、それに伴い浅野さんの「できること」が増え、更なる活躍を続けている。

何でもできる会社、「株式会社志村」へ

「自分の夢は株式会社志村精機製作所を株式会社志村にすることです。事業領域を拡大してできることを増やしたいんですよね」そう語る浅野さん。現在、浅野さんは自社製品の開発や新規顧客の開拓に尽力している。現在では商談会などに積極的に足を運び、そこにいる方々に質問をしながら、更なる新規顧客の開拓に向け、業界の勉強に勤しんでいるという。その浅野さんは仕事の全てにやりがいを感じながら、強い想いをもって臨む。「両親っていう自分の身近な存在がここまですごいことをやっているんだということに気づいて、両親や社長がここまでつくってきた志村精機製作所を自分が関わることでより大きくしたいという気持ちになったんです。そう思うようになったのはつい最近なんですけどね」と決意を感じさせるように語る浅野さん。強い想いのもとに、浅野さんは今後も仕事に臨み、同社をさらに発展させていくに違いない。

  • 生産拠点の1つである千葉工場

  • 品質に妥協せずつくりあげた同社の製品

  • 展示会での同社の様子

より良い組織づくりへの想い

御社の強みを教えてください

品質管理ですね。とにかく細かくて、いい意味でうるさくて、本当に妥協しないんですよ。まず全数検査は欠かさないです。製造した部品が1個大丈夫ならば同じ機械で製造しているんだから大丈夫だとパスをするのが通例ではあるのですが、うちは妥協せず全て徹底的にチェックします。あとはコンマ01mmのずれが出てて、製品づくりには影響がないので「これ大丈夫ですよ」と通そうとしても「チェックし直してください」と返されます。当たり前のことではありますが、良い製品をミスなく納入し続けることがお客様からの信頼を勝ち取って、次の仕事に繋がりますので、お客様へ良い製品を提供することに一切の妥協が無いですね。

御社の更なる発展に向けて取り組んでいることは何ですか

皆の気持ちを1つにすることですね。僕は、「次はこれをこうしてやろう」とか「もっと良いものをつくろう」とか、そういうことを皆が本気で思うようになったらつくれないものはないと本気で思っています。ただ、まだその気持ちはもっと強くできるとも思っています。なので皆の気持ちを揃えるために、新しい人が入ったら食事に連れて行ったり、千葉の方に顔を出した時には「皆で食事でも行こうか」って誘ったりして、社内の色んな人とコミュニケーションの機会を増やして、皆の意見を聞いて、気持ちを揃えられるようにはたらきかけています。来年になったら3倍も4倍もこういった機会を増やしたいですね。そうして気持ちでどこにも負けない組織をつくりたいです。

浅野さんが仕事をするうえで意識していることを教えてください

分にできることを一生懸命するっていうことですかね。先ほども言いましたが、入社当時は本当に専門的な領域ではなにもできなかったけど、掃除なら僕でもできるということで一生懸命取り組みましたし、最近ですとエコアクションの取得も僕が先陣をきってやりました。こういった経験を通じて気づいたことがありまして、一生懸命に何かをすれば誰かが協力してくれるんです。僕が掃除する前はトイレなんてものすごく汚かったんですよ。でも毎日毎日掃除をしてると「汚さないようにしよう」とか「掃除を手伝ってあげよう」となって今では掃除の担当を毎週変えて掃除する仕組みまでできました。これからもできることを一生懸命にやって、この志村精機製作所をもっと良い会社にしていきたいです。

担当者からのコメント

  • 監修企業 担当者

    取材にてお伺いさせていただいた際、どこか温かさのある、とても良い雰囲気を感じました。志村社長の言う「家族的な雰囲気づくり」によるものなんだなと思い、その後のお話も感じた雰囲気を踏まえると光景を思い描くことは難しくありませんでした。そんな温かみのある雰囲気の中で、志村社長、浅野様は同社の次の展開を思い描き、積極的に組織の改革に取り組んでおり、今後の飛躍を強く感じさせる取材でした。今後の動向を見逃せない企業様です!

掲載企業からのコメント

  • 株式会社志村精機製作所 からのコメント

    来年、弊社は転換期を迎えます。それに際し、このような取材を通じて会社の大きな転機である金属加工から樹脂加工への転換や、私自身のこれまでをお話をさせていただき、今日に至るまでの志村の歴史を振り返る良い機会となりました。ありがとうございます。 今後も技術と信頼を蓄積し、志村のものづくりを進化させ続けていきます。

企業情報

  • 創業年(設立年)

    1964年

  • 事業内容

    ・樹脂、金属の試作と量産 ・精密機器、事務機器、光学機器、医療機器の切削加工 ・金型の設計と製作 ・3D CAD/CAMによる製作 ・成型品、ダイカストの二次加工 ・各種治具製作 ・三次元測定機と品質管理課による製品保障 ・環境、エコ関連製品の開発、製造

  • 所在地

    東京都大田区東馬込1-49-6

  • 資本金

    1,000万円

  • 従業員数

    48名

  • 会社URL

    https://shimuraseiki.co.jp/

沿革

  • 1964年~1989年

    1964年9月
    東京都品川区西大井5丁目19番地4号にて、一般部品製造会社として事業を開始。

    1967年2月
    資本金100万により、「有限会社志村精機製作所」を設立。

    1982年
    4Vマシニングを導入、治工具設計・組立を開始。

    1983年
    5Vマシニング・自動プロを導入、筐体の設計・組立を開始。

    1983年7月
    本社工場を大田区東馬込1丁目49番地6号に移転。

    1988年1月
    資本金800万に増資。

    1988年12月
    志村政彦、代表取締役社長に就任。

    1989年1月
    社名を「株式会社志村精機製作所」に変更。

    1989年2月
    千葉工場建設。

    1989年6月
    資本金を1000万に増資。

    1989年10月
    千葉工場操業開始、25周年記念式典。

  • 2001年~2015年

    2001年6月
    ネットワークシステムの構築。

    2004年6月
    会社創立40周年を開催。

    2004年10月
    東京第二工場設立、試作金型加工の事業を開始。

    2009年3月
    スリーエス環境企画部門設立。

    2009年5月
    第二工場を品川区西大井6丁目15番地2号に移転。

    2013年12月
    大田区「優工場」認定。

    2014年5月
    エコアクション21認証。

    2014年9月
    会社創立50周年を開催。

    2015年1月
    2台の高速マシニングセンタを導入。

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