取材趣旨:企業詳細
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タマチ工業株式会社
代表取締役社長米内 淨
タマチ工業は1912年創業太田自動車工場を発祥とし、技術・技能の磨き上げを連結106年重ね続けてまいりました。
企業の歴史の中でも1930年代に多摩川スピードウェイで開催された国産小型車クラスでの活躍は、現在の事業の礎となっております。
イメージとしては、当時のオオタモータースポーツのスピリットが現在のタマチ工業の絶えることの無い情熱を導き出してくれたものであると感じ、そして現在の我々の一期一会や行動力が次世代のタマチ工業を創り上げるはずであり、それを未来歴史づくりと呼んでいます。
迅速丁寧、絶対品質、情熱継続を従業員共通言語に定め、モータースポーツや次世代自動車開発で培ってきた多パレット極限同時5軸加工を筆頭とした生産技術や面性状向上技術、AMによるトポロジー最適化等、タマチの強み、売りを存分に発揮し、自動車分野に限らず、次々と異業種デビューを果たしているところです。
いつの時代も社会課題に挑戦し続け、目下としては医療現場、介護福祉分野での貢献に結び付けたいと思っております。
開発設計陣を充実させ、QCDすべてに提案できる体制を整え、さらに若い社員が飛躍できるようにお客様のニーズを彼らの成長の機会に繋げられる企業文化を大切にしております。
5年後、10年後の工場を思い描き、連結150年、200年の夢を追い続け、メンバー全員で魅力ある企業に育てて行く所存です。
そしてそのタマチの魅力を世界に向けて発信し続けます。
企業情報
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創業年(設立年)
1962年
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事業内容
二輪・四輪自動車の開発部品及びレース部品
医療機器
農機・建機
エネルギー関連部品
半導体・電子機器
ロボット部品
航空・宇宙部品
産業用機器
教育・研究機関開発部品 -
所在地
東京都品川区南大井4-10-2
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資本金
2,000万円
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従業員数
124名
- 会社URL
沿革
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1912年~1978年
1912年
太田祐雄により巣鴨郊外甲塚に太田工場を設立。その後、太田自動車製作所に社名変更。
1936年
報知新聞社主催の第一回全日本自動車競技大会で国産小型レースに優勝。第三回大会でも優勝。
1946年
太田祐雄の三男、太田祐茂が独立し「オオタ商会」を設立。戦後の物不足の中、自動車修理工場を開設。
公営オートレース用レーシングカーの設計・製作、チューニングなどを行う。
同時期に、高速機関工業株式会社が業績不振により、東急系の「くろがね自動車工業株式会社」に吸収合併される。
1959年
くろがね自動車工業株式会社の子会社として「くろがね小型自動車製造株式会社」を設立。
太田祐茂が技術担当役員に就任したため、オオタ商会を閉鎖。
1962年
オオタ商会があった港区田町八丁目に「タマチ工業株式会社」を資本金200万円で設立。
1966年
フォーミュラージュニアを公営ギャンブルレース用に設計・製作。
1969年
360ccエンジンを搭載したミニフォーミュラーカー「ニアルコ」を製作・販売し、当時のモータースポーツ界で話題となる。
1972年
現会長の太田邦博が入社。
1977年
太田邦博が代表取締役に就任。
1978年
全自動ナライ式ノートン製カム研削盤を導入。
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1981年~2002年
1981年
本社工場を現在地である東京都品川区南大井に移転。
CNCマシニングセンター、CNC旋盤、平面研削盤を導入。
1991年
資本金を1,000万円に増資。第二工場(現A棟)を静岡県富士郡芝川町に移設。
大隈豊和製門型CNC5軸加工機「VMP-8」およびミツトヨ製三次元測定機「B706」を設備。
2002年
西富士工場を隣接敷地へ拡張し、D棟を建設。
ヤスダ製横型5軸マシニングセンター「YBM700NTT」を導入し、さらに高精度な要求に対応する体制を整備。
2000年に続き、タイトル獲得を記念した表彰を受ける。 -
2007年~2014年
2007年
ROFIN社製レーザー加工機を導入。環境認証「KES」を取得。
2008年
「明日の日本を支える元気なモノ作り中小企業300社」に選出。
2009年
品質保証規格「ISO9001:2008」を取得。
2010年
太田祐雄が「2010日本自動車殿堂」に殿堂入り。
2012年
タマチ工業が創業50周年、太田自動車が創業100周年を迎える。
2014年
太田邦博が取締役会長に就任。
米内 淨が代表取締役社長に就任。